おれのキャリア、その1

何回かに分けて、おれのキャリアについて書く。これ系の話はさまざまな人と同じような話をするので、気になるのであれば読んでくれ、といえる参照先が欲しいのである。所々ぼかすと思うので、おれの知り合いはぜひ、気になるところがあったら直接聞いていただきたい。

言わないでもわかると思うが、おれの視点による、その当時感じたこと、及び今考えることを書くので、所属した組織を代表するものではもちろんないし、これから述べることがその特定の企業群を適切に表現しているとは思わないでほしい。迷惑かけたらごめん、その時はこっそり教えてください。善処します。




おれのキャリアを時系列で述べるのならば、遡るべきは大学時代だと思う。

当時おれはどっかの大学で哲学を専攻していた。といっても極めて不真面目で、午前中の授業はほとんど出ないし(今は改善したのだが、生まれてこの方、ずっと朝起きれなかった)、必修のドイツ語も1年生で履修すべき授業を永遠に再履修し続けていた。専攻している哲学の勉強もあまり真面目にはできておらず、尊敬する先生に「そんなところに哲学はない!」と怒られたりして悲しく思ったりもした(結局どこに哲学があったのかは今もわからない)。

そんなことだから当然のように留年し、しかも1年では足りず、2年もしてしまった。いよいよ焦る。哲学なんていう世間にどう役立つのかも自明ではない(おれ個人は、哲学をある種の領域においては役立つものだと認識しているが長くなりそうなので割愛)ものをやっていて、しかも不真面目に2年も留年してしまっていては、近い将来食いっぱぐれる可能性が高そう、という焦りだ。



そんな折に、当時勢いの良かった Samsung が、Android アプリの開発者を増やすことを目的として、若年者向けに無償(年齢条件をクリアできなければ有償だが激安価格)で、Android アプリの開発を教える講座を開く、というのをどこかで知り、手に職つけときゃとりあえずは食えそう、という極めて不純な動機でそれに参加したのだった。

これが、おれとエンジニアリングとの最初の関わりである。

確か、週2回、2時間ほどの講座を受講し、半年ほどかけて自分が作りたいと思ったアプリを作り上げる、といったような内容だった。

今軽く調べたら、当時のテキストが出てきたので、貼っておく。

ktaka.github.io


おれは留年しない時間割、というアプリを作り、なんとかストア公開まで持っていった。記憶の限りでは、30人ほど受講し、最後まで残っていたのは10人ほどだった気がするので、みんなそこそこ苦労していたようだ。

最後の卒業式みたいなのでは、受講期間中にアプリを公開まで持って行けたうちの何人かが rubyまつもとゆきひろさんの前で自分のアプリについて発表する、という場が設けられた。おれも一応それに選ばれたのだが、当日に風邪をひいてしまって欠席することになり、結果としてまつもとさんの前で何かしらの発表を行う、という大変に貴重な機会を逃したのであった。それだけは今でも悔やまれる。


そんな中で、周りの脱落していく同級生(?)の中で最後まで続けられたことだったり、発表に選ばれる程度にはマシなアプリを一人で開発できたことにより、おれはプログラミングにそこそこの適正があるという自信を持つことができ、かつ、めちゃくちゃに夢中になれるものだったので、これで飯を食いたいと思った。

今思うとこれは大変に幸運なことで、そのような場を設けてくれた方々には感謝の思いでいっぱいである。



今日は飽きたので続く。