Nと出会ったのは、おれの人生で最も荒んでいた時期のひとつだった。
その頃のおれと来たら、出会う女の子すべてとやっていた。もちろん、友達とか、仕事の人とか、そういった人々とはしない。どんな営みにも、ルールはある。おれのそれについてのルールは厳格で、生活圏(それは、何も自宅からの物理的な距離ではなく、心理的なものだ)の被る人々とはしない、というものだった。
おれは、そのルールを、ほとんど10年ほど守っていた。例外は、2,3 あった。
そのようなルールを守りながらやりまくるというのは、もちろん、簡単ではない。おまけに、おれは、風采の上がる方ではない。どちらかというと、変な顔をしている(かつて、スティーブ・ブシェミという俳優が、始終、変な顔の男、と呼ばれている映画があった。いい映画なので、君もいつか見るといい)。
21世紀たる現代においては、うだつの上がらない男にも、女を漁れる場所がある。マッチングアプリというのがそれだ。
おれは、自慢じゃないけど、マッチングアプリというものがうまい。
別に、特別写りのいい写真を載せるとか、気持ちを通わせられるような文章を書けるとか、そういうことではない。とにかく、おれがメッセージを送って、もし彼女の方が返信をくれたなら、そして、飲む約束をとりつけたなら、おれの打率は9割5分を超えていた。ちょっとしたものだ。
そんな風にして、我々は出会い、魚をつまみに酒を飲んだ。当然のように、その夜、セックスをした。
彼女とはその後、1ヶ月か2ヶ月くらい、一緒にいた。我々は、ずっとLINEをしていた。おれの方は、ずっと彼女といたいとさえ思っていた。
しかし、ある日曜日、彼女はいなくなってしまった。思えば、予感はあったのかもしれない。
その日、彼女とおれは、狭いアパートのベッドでちちくり合って、その後、彼女はおれの膝の上で眠った。膝枕なんて、それまで彼女は求めなかったし、おれとしても、女の子に膝を貸したのは、それが初めてだった。
彼女が、帰る、と言うので、駅まで送る、とおれは言った。
彼女は、そんなことしてくれなくていいよ、と言った。
おれが送りたいから、送らせて欲しい、と、おれは言った。
おれのアパートから、駅に向かうには、まず、向かいの公園を右手に沿って歩き、そこをまっすぐ行った先の通りをさらに右にある坂を登っていく。
その坂に着くと、彼女は言った。ここでいいよ、と。
さすがに二度目の断りなので、おれもそれを受け入れる。
そうか、わかった。おれはここを左に折れて、公園まで散歩をするよ。公園には、犬の散歩がよくあるんだ。それを眺めて、帰ることにする。
こんな夜に犬の散歩をする人なんてあるの?と彼女は訊いた。
よくわからないけれど、たぶん、いる、と、おれは答えた。そのようにして、我々は別れた。そうして、そのようにして、彼女はおれの前から去って行った。翌週の約束に、彼女は現れなかった。
しばらくして、ひょんなことから彼女と再会した。おれが友人の数人と飲んでいる所に、彼女が合流することになったのだ。
我々は、居酒屋で隣に座り、机の下ではしっかりと手を握っていた。
全ては過ぎ去り、今ではまた、彼女と連絡が取れなくなってしまった。
この世界のどこかで、彼女が幸せであることを祈っている。
できるなら、目一杯の祝福が、彼女にあるといいと思う。彼女は、それに値する人間なのだから。