ishocon2 の github actions 対応をした

ishocon2 の github actions 対応をした。

 

github.com

 

きっかけは、ishocon2 をやっていく中で、docker で動かしていてもホストマシンの影響を受けるような感覚があり、ローカルでの実行だとスコアがぶれてしまうように観測された(実際にホストマシンの影響を受けるのかはよくわからない、おれのやり方が不味かったのかもしれない)ため、安定した環境でのベンチマーク実行環境が欲しかったから。

 

具体的に何をやったかはまあ、PR を見てくれ。

 

本当は技術ブログのはずだったので、エンジニアリングに関することを書いてみたってだけの話。

 

ちなみに、おれの最高スコアは ruby 実装で 367688 だった。もっと頑張りたい。

 

Nについて

Nと出会ったのは、おれの人生で最も荒んでいた時期のひとつだった。

その頃のおれと来たら、出会う女の子すべてとやっていた。もちろん、友達とか、仕事の人とか、そういった人々とはしない。どんな営みにも、ルールはある。おれのそれについてのルールは厳格で、生活圏(それは、何も自宅からの物理的な距離ではなく、心理的なものだ)の被る人々とはしない、というものだった。

おれは、そのルールを、ほとんど10年ほど守っていた。例外は、2,3 あった。

そのようなルールを守りながらやりまくるというのは、もちろん、簡単ではない。おまけに、おれは、風采の上がる方ではない。どちらかというと、変な顔をしている(かつて、スティーブ・ブシェミという俳優が、始終、変な顔の男、と呼ばれている映画があった。いい映画なので、君もいつか見るといい)。

21世紀たる現代においては、うだつの上がらない男にも、女を漁れる場所がある。マッチングアプリというのがそれだ。

おれは、自慢じゃないけど、マッチングアプリというものがうまい。

別に、特別写りのいい写真を載せるとか、気持ちを通わせられるような文章を書けるとか、そういうことではない。とにかく、おれがメッセージを送って、もし彼女の方が返信をくれたなら、そして、飲む約束をとりつけたなら、おれの打率は9割5分を超えていた。ちょっとしたものだ。

 

そんな風にして、我々は出会い、魚をつまみに酒を飲んだ。当然のように、その夜、セックスをした。

彼女とはその後、1ヶ月か2ヶ月くらい、一緒にいた。我々は、ずっとLINEをしていた。おれの方は、ずっと彼女といたいとさえ思っていた。

 

しかし、ある日曜日、彼女はいなくなってしまった。思えば、予感はあったのかもしれない。

その日、彼女とおれは、狭いアパートのベッドでちちくり合って、その後、彼女はおれの膝の上で眠った。膝枕なんて、それまで彼女は求めなかったし、おれとしても、女の子に膝を貸したのは、それが初めてだった。

彼女が、帰る、と言うので、駅まで送る、とおれは言った。

彼女は、そんなことしてくれなくていいよ、と言った。

おれが送りたいから、送らせて欲しい、と、おれは言った。

おれのアパートから、駅に向かうには、まず、向かいの公園を右手に沿って歩き、そこをまっすぐ行った先の通りをさらに右にある坂を登っていく。

その坂に着くと、彼女は言った。ここでいいよ、と。

さすがに二度目の断りなので、おれもそれを受け入れる。

そうか、わかった。おれはここを左に折れて、公園まで散歩をするよ。公園には、犬の散歩がよくあるんだ。それを眺めて、帰ることにする。

こんな夜に犬の散歩をする人なんてあるの?と彼女は訊いた。

よくわからないけれど、たぶん、いる、と、おれは答えた。そのようにして、我々は別れた。そうして、そのようにして、彼女はおれの前から去って行った。翌週の約束に、彼女は現れなかった。

 

しばらくして、ひょんなことから彼女と再会した。おれが友人の数人と飲んでいる所に、彼女が合流することになったのだ。

我々は、居酒屋で隣に座り、机の下ではしっかりと手を握っていた。

 

全ては過ぎ去り、今ではまた、彼女と連絡が取れなくなってしまった。

この世界のどこかで、彼女が幸せであることを祈っている。

できるなら、目一杯の祝福が、彼女にあるといいと思う。彼女は、それに値する人間なのだから。

 

 

31歳になった

ついに、31になった

つぎは、32

 

30に戻ることはないし、17になることもまた等しくない

 

どうしたって、30の次は31らしい

 

だいたい、人の年齢がそんなふうに好き勝手に変わってしまうような、そんな複雑なシステムを、我が国がハンドルできるわけない

(なんだって、国はおれが何歳かを知っておかないといけないのだろう)

 

おれは、この国を、ほとんど憎んでいる

いつからこんなふうになってしまったのだろう

 

あるいは、初めからすべて、こうだったのだろうか

 

結婚をした

結婚をした。新婚というやつである。

嫁・妻・パートナには、おれを発生源としない子が既にあり、つまるところ、おれも父親というものになった。

 

思ってたより遠くに来てしまった感覚はある。

 

しかし、おれを発生源としない子ら(二人いる)は、無邪気に可愛く、賢くもあり、おれはそいつらを愛している。嫁・妻・パートナのこともまた、愛している。というか、むしろ逆で、嫁・妻・パートナのことを愛しているから、その子らのこともまた愛している。

 

今住んでいる家には、義母も一緒に住んでいる。彼女個人のこともまた、愛している。しかし、その愛のきっかけが、嫁・妻・パートナであることは否めない。

 

これは、言ってしまえばリファラル採用である。信頼している人が信頼してる人は、また、信頼できるのだ。友達の友達は友達、みたいなもんだ。

 

おれをリファラル採用してくれたっていいんだぜ?

 

いいやつほど早く死ぬ、その構造について

父方の祖父は早くに死んだ。いいやつだったらしい。「らしい」というのは、面識がないからで、おれが生まれた頃にはすでに亡くなっていた。時たまの法事や親戚の集まりなどで、いい人だったという話だけを聞いていた。ただ、彼らは決まって具体的なエピソードを話してはくれなかった。こんなガキに話しても仕方がないと思ったのか、あるいは。

 

教訓。人のことをいいやつだったと誰かに話すくらいなら、具体的なエピソードも一緒にくれてやるように。

 

母方の祖父はそれなりに生きた。ただ、彼は疎まれていた。みんなで飯を食っていて、自分が食い終わるや否や「さあ、帰るぞ」と、いそいそと帰り支度を始めるような人だった。おれの母親も呆れていて、よく愚痴をこぼしていた。

 

教訓。誰かの悪口をガキに話すと、その人を愛せないガキが育つ。これはフェアじゃないので、控えるように。

 

ビートルズでも、ジョンが一番最初に死んだ。何かのドキュメンタリで見たのだが、彼の自宅に狂気的なファンが不法に侵入して、ジョンがそのファンに対して滔々と諭すシーンがあった。あんな風にしていると、撃たれてもしまう。

お前が見ているおれは、幻想でしかない、そんなものに傾倒せずに自分の人生を生きろ、といったようなことを、そのファンに向かって話していた。考えてみると、キャバ嬢や風俗嬢と、その客たちとの関係に似ている。こんなことを言う嬢は、狂気的客たちの反感を買うことになるだろう。

もちろん、悪いのは狂った客たちだ。真実を伝えるジョンも嬢も、どちらも正しく、優しく、いいやつなのだが、世界にはその優しさを裏切りと捉える人々もいる(もちろん、裏切るも何もハナから相手にされていない)。

 

教訓。人と人との距離感を見誤ってはならない。我々は所詮他人で、お互いにとってメリットがあるという前提の上での関係でしかない。例外は、ほとんどないと言っていい。

 

ジョージがその次に亡くなったのはわかるが、そうなるとリンゴがいまも元気なのが、少し不思議だ。おれの観測する限り、ビートルズの4人の中で最も一般的な意味においていいやつなのが、リンゴである。

ポールが生きているのは、なんとなくわかる。

 

ポールの最初のパートナであったリンダもおそらくいい人で、彼女もまた、早くに亡くなった。おれは彼女をあまり知らないけれど、Wings の楽曲で、ポールのボーカルに合わせてコーラスを歌う彼女の声を聞くと、時々泣きたくなってくる。

 

いいやつほど早く死ぬ、という言葉の構造は実はシンプルだ。もちろん、神様かなんかが、こいつはいいやつだから早くに死なせてやろう、と救いの手を差し伸べているわけではない。神様がいるかどうかはわからないが、いいやつも悪いやつも、等しく死ぬ。

 

いいやつが早く死んでいるように感じられるのは、残された我々がもっとずっと一緒にいたかったからだ。あんないいやつとは、もっとずっと一緒にいたかった。だから、いいやつほど早く死ぬよなと、死んだやつよりほんの少しだけいいやつでない隣人と、肩を落として語らうのだ。おれたちはもっとずっとあいつと一緒にいたかった、と。

 

あるいはもう少しニヒルに捉えると、鬼籍に入った人々のことを誰も悪くは言えない、ということだ。死んでいった奴らについて、悪口を言うのは憚られる。となると、いいことしか言えない。あいつとはなんだかんだ色々あったけど、まあ結局のところ、心根はいいやつだったよな、というところに落としておく。

しかし、無理はそう長く続かない。本当にいいやつだったと思えない人々については、徐々に記憶から消し去られ、語られなくなっていく。時が経つにつれ、いいやつの思い出話ばかりが残る。

 

もちろん、誤魔化しも効かず、色褪せることもないひどいやつ、というのも、少数だが、いる。そのような人々に出会うのはほとんど事故みたいなものだから、黙って受け入れるしかない。フェアじゃないが、人生は元々フェアじゃない。どうにもならないことに、心のリソースを割いてはいけない。

 

おれたちは、いつ死ぬのだろうか。

 

いなくなった友達について

いなくなった友達がいる。というか、連絡が取れなくなっただけなんだけど、いなくなった友達がいる、というのは自己矛盾の文のようで論理学をやっていた身としては面白い。

 

おれとそいつはマッチングアプリで知り合った。一目見たプロフィールがいかにもやばくて、こいつとはいい酒が飲めそうだと思っていいねをしたのだ。おれのプロフィールも大概だから、たぶんあいつも似たようなもんだったと思う。

 

会ってみたら案の定で、やばい面白い女だった。彼女には常に「すきぴ」(彼女がそう呼んでいた)が何人かいて、その中には家庭を持った人もいれば、地方に住んでいたり、裏稼業をやっている人間もいた。定期的にその中でも推しが変更され、この間会った時には宮崎の男に夢中だったのに、次に会った時は知らん組織の構成員の男の話ばかり聞かされたりもした。

 

我々同士は特にどうなることもなく、2週間に一度くらいのペースで定期的に飲んだり、暇な夜に電話を掛け合ったりしていた。そんな関係が半年くらい続いたと思う。半年続いた、ということは終わりがあったわけで、じゃあ明日飲もうな、と約束をしたっきり、連絡が取れなくなってしまった。

 

彼女は過去に躁鬱をやっていたので、それなりに心配もしたのだが、我々はマッチングアプリを介して知り合っているので、こうなるとどうにもリーチできない。彼女が住んでいたアパートには、ひどく酔っ払った時に一度泊めてもらったきりで、最寄りの駅からもそれなりに歩くため、とてもじゃないけど道順などは覚えていなかった。だいたい、女の一人暮らしを、ただの男友達が急に訪ねることなんてできない。

 

半年の間に、そこそこの量を会話したと思う。お互いの性事情だったり、仕事だったり、日々の生活のことを、開けっぴろげに。だいたいいつもおれが怒られていて、あんたそんなんじゃいつまで経ってもモテないよとか、だからあたしはあんたとしないんだよ、とかなんだとか。彼女の指摘はなかなか鋭く、それなりに勉強させてもらった(いまも特にモテはしない)。

 

彼女がいなくなってから何年か経つが、たまに気の合う年上の女性と知り合うと(彼女はおれより3,4歳年上だった)、間違えてその子の名前を呼びそうになる時がある。おれは人の名前を覚えられない。

 

歳をとるというのは、思い出を積み上げることでしかない。その思い出に助けられることもある。しかし、死、決裂、自然消滅など、さまざまな理由により、人々はいなくなっていく。それによって、積み上げた思い出は呪いにもなる。彼女のことを思い出すと、いまでも少しだけ切なくなるし、そいつと飲んだ店なんかは、あまり無邪気に訪れることができない。

 

たぶん、どっかで元気によろしくやっているとは思う。おれはめんどくさいやつだから、なんだか嫌になって、行ってしまったんだ。おれに呪いをかけたことも知らずに。

 

年始について、年末およびクリスマスとの比較

おれは今年31になる未婚の男で、家族(親)との関係は良好ではない。そんなやつにとって、年末やクリスマスなんかより、ずっと「来る」のが年始である。

独り身男子がクリスマスに憂鬱になるなんてのはよく聞く話だが、おれに言わせればあんなのは大したことではない。むしろ、こいつらこのあとどっかに入ってしけこむんだなと思って街ゆくカップルを眺めるのは、それはそれでおかしみがある。おれだったらアイツとはやれないね、とでも嘯いておけばいい。

年末はもっといい。仕事においても年末進行というものがあり、忙しいふりをできる。家庭人が休みだす年末に躊躇いなく勤務できる非家庭人は、そこそこ重宝されるのも事実だ。また、年末は家庭人の方々もおれの遊びに付き合ってくれる。忘年会だ仕事納めだと理由を探し、見つからなければ、まあ年の瀬ということで、と飲んでくれる。

ただ、年始はダメだ。まず、普段おれの相手をしてくれていたはずの独身の非家庭人たちも、それぞれ自分の家族(親など)の元へと帰りやがる。

おれは自分の家族を愛していないので、絶対にそんなことはできない。好きだった人々はみんな死んでしまった。

仕事もできない。年始に働くのは流石にまずい。労働基準法は遵守せねばならない。

何がいけないって、世間は家庭で溢れている。コンビニに行っても、祖父母から孫世代までのつつましくも幸せな三世代を目撃してしまう。独り身の男の味方であるはずのコンビニさえも、この時期には心休まる場所でない。

 

おれと属性の似たお前らよ、クリスマスが終わったからって油断するなよ。本当の地獄は、年始にある。三が日という名のこの地獄は、その名の通り、三日間続く。

 

そんなことを考えながら、RC を聞いた。おれたちの名は、「よそ者」というらしい。

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