いいやつほど早く死ぬ、その構造について

父方の祖父は早くに死んだ。いいやつだったらしい。「らしい」というのは、面識がないからで、おれが生まれた頃にはすでに亡くなっていた。時たまの法事や親戚の集まりなどで、いい人だったという話だけを聞いていた。ただ、彼らは決まって具体的なエピソードを話してはくれなかった。こんなガキに話しても仕方がないと思ったのか、あるいは。

 

教訓。人のことをいいやつだったと誰かに話すくらいなら、具体的なエピソードも一緒にくれてやるように。

 

母方の祖父はそれなりに生きた。ただ、彼は疎まれていた。みんなで飯を食っていて、自分が食い終わるや否や「さあ、帰るぞ」と、いそいそと帰り支度を始めるような人だった。おれの母親も呆れていて、よく愚痴をこぼしていた。

 

教訓。誰かの悪口をガキに話すと、その人を愛せないガキが育つ。これはフェアじゃないので、控えるように。

 

ビートルズでも、ジョンが一番最初に死んだ。何かのドキュメンタリで見たのだが、彼の自宅に狂気的なファンが不法に侵入して、ジョンがそのファンに対して滔々と諭すシーンがあった。あんな風にしていると、撃たれてもしまう。

お前が見ているおれは、幻想でしかない、そんなものに傾倒せずに自分の人生を生きろ、といったようなことを、そのファンに向かって話していた。考えてみると、キャバ嬢や風俗嬢と、その客たちとの関係に似ている。こんなことを言う嬢は、狂気的客たちの反感を買うことになるだろう。

もちろん、悪いのは狂った客たちだ。真実を伝えるジョンも嬢も、どちらも正しく、優しく、いいやつなのだが、世界にはその優しさを裏切りと捉える人々もいる(もちろん、裏切るも何もハナから相手にされていない)。

 

教訓。人と人との距離感を見誤ってはならない。我々は所詮他人で、お互いにとってメリットがあるという前提の上での関係でしかない。例外は、ほとんどないと言っていい。

 

ジョージがその次に亡くなったのはわかるが、そうなるとリンゴがいまも元気なのが、少し不思議だ。おれの観測する限り、ビートルズの4人の中で最も一般的な意味においていいやつなのが、リンゴである。

ポールが生きているのは、なんとなくわかる。

 

ポールの最初のパートナであったリンダもおそらくいい人で、彼女もまた、早くに亡くなった。おれは彼女をあまり知らないけれど、Wings の楽曲で、ポールのボーカルに合わせてコーラスを歌う彼女の声を聞くと、時々泣きたくなってくる。

 

いいやつほど早く死ぬ、という言葉の構造は実はシンプルだ。もちろん、神様かなんかが、こいつはいいやつだから早くに死なせてやろう、と救いの手を差し伸べているわけではない。神様がいるかどうかはわからないが、いいやつも悪いやつも、等しく死ぬ。

 

いいやつが早く死んでいるように感じられるのは、残された我々がもっとずっと一緒にいたかったからだ。あんないいやつとは、もっとずっと一緒にいたかった。だから、いいやつほど早く死ぬよなと、死んだやつよりほんの少しだけいいやつでない隣人と、肩を落として語らうのだ。おれたちはもっとずっとあいつと一緒にいたかった、と。

 

あるいはもう少しニヒルに捉えると、鬼籍に入った人々のことを誰も悪くは言えない、ということだ。死んでいった奴らについて、悪口を言うのは憚られる。となると、いいことしか言えない。あいつとはなんだかんだ色々あったけど、まあ結局のところ、心根はいいやつだったよな、というところに落としておく。

しかし、無理はそう長く続かない。本当にいいやつだったと思えない人々については、徐々に記憶から消し去られ、語られなくなっていく。時が経つにつれ、いいやつの思い出話ばかりが残る。

 

もちろん、誤魔化しも効かず、色褪せることもないひどいやつ、というのも、少数だが、いる。そのような人々に出会うのはほとんど事故みたいなものだから、黙って受け入れるしかない。フェアじゃないが、人生は元々フェアじゃない。どうにもならないことに、心のリソースを割いてはいけない。

 

おれたちは、いつ死ぬのだろうか。