いなくなった友達について

いなくなった友達がいる。というか、連絡が取れなくなっただけなんだけど、いなくなった友達がいる、というのは自己矛盾の文のようで論理学をやっていた身としては面白い。

 

おれとそいつはマッチングアプリで知り合った。一目見たプロフィールがいかにもやばくて、こいつとはいい酒が飲めそうだと思っていいねをしたのだ。おれのプロフィールも大概だから、たぶんあいつも似たようなもんだったと思う。

 

会ってみたら案の定で、やばい面白い女だった。彼女には常に「すきぴ」(彼女がそう呼んでいた)が何人かいて、その中には家庭を持った人もいれば、地方に住んでいたり、裏稼業をやっている人間もいた。定期的にその中でも推しが変更され、この間会った時には宮崎の男に夢中だったのに、次に会った時は知らん組織の構成員の男の話ばかり聞かされたりもした。

 

我々同士は特にどうなることもなく、2週間に一度くらいのペースで定期的に飲んだり、暇な夜に電話を掛け合ったりしていた。そんな関係が半年くらい続いたと思う。半年続いた、ということは終わりがあったわけで、じゃあ明日飲もうな、と約束をしたっきり、連絡が取れなくなってしまった。

 

彼女は過去に躁鬱をやっていたので、それなりに心配もしたのだが、我々はマッチングアプリを介して知り合っているので、こうなるとどうにもリーチできない。彼女が住んでいたアパートには、ひどく酔っ払った時に一度泊めてもらったきりで、最寄りの駅からもそれなりに歩くため、とてもじゃないけど道順などは覚えていなかった。だいたい、女の一人暮らしを、ただの男友達が急に訪ねることなんてできない。

 

半年の間に、そこそこの量を会話したと思う。お互いの性事情だったり、仕事だったり、日々の生活のことを、開けっぴろげに。だいたいいつもおれが怒られていて、あんたそんなんじゃいつまで経ってもモテないよとか、だからあたしはあんたとしないんだよ、とかなんだとか。彼女の指摘はなかなか鋭く、それなりに勉強させてもらった(いまも特にモテはしない)。

 

彼女がいなくなってから何年か経つが、たまに気の合う年上の女性と知り合うと(彼女はおれより3,4歳年上だった)、間違えてその子の名前を呼びそうになる時がある。おれは人の名前を覚えられない。

 

歳をとるというのは、思い出を積み上げることでしかない。その思い出に助けられることもある。しかし、死、決裂、自然消滅など、さまざまな理由により、人々はいなくなっていく。それによって、積み上げた思い出は呪いにもなる。彼女のことを思い出すと、いまでも少しだけ切なくなるし、そいつと飲んだ店なんかは、あまり無邪気に訪れることができない。

 

たぶん、どっかで元気によろしくやっているとは思う。おれはめんどくさいやつだから、なんだか嫌になって、行ってしまったんだ。おれに呪いをかけたことも知らずに。