おれとお前は違うということについて、その2

その1はこれだ。余裕があったら読んでくれ。

https://mickamy.hatenablog.jp/entry/2021/08/17/225126

 

自分を小さくする、ということについて友達から質問が来たのでそれについて書く。

 

みんなそれぞれ、これを否定されるとすごく悲しい、怒る、嫌だ、という部分があると思う。

 

おれは母方のばあちゃんが大好きで、彼女はもう死んでしまったのだけど、二度と会えないということがすごく悲しい。二度と会えないなんてほとんど信じられないくらいに悲しい。もう一度くらい会えたっていいと思う。

 

だから、便宜的に、おれが死んだ時にまたばあちゃんに会えると信じて生きている。あくまで、便宜的にそう信じているのだ。

 

死んだ時にばあちゃんに会えたとして、あんた頑張ったね、私は嬉しいよ、と言ってもらいたい。だから、おれなりに頑張って生きてるつもりだ。

 

おれだってさすがに、本当には信じていない。科学的に死後の世界の立証が為されていない、という認識は持ってるし、その立証が為される可能性は極めて低い、あるいはほとんどないとは思っている。

 

ただ、そう信じて生きたっていいだろ?

おれがそう信じて生きることで、お前に何か迷惑をかけたか?

 

それを否定された時、おれはすごく怒る。すごく悲しくなる。やるせなくなる。というか、一度だけあって、その時にそんな気持ちになった。おれはよく人から不機嫌だと思われたり、怒ってると認識されることがあるのだが(そこについては改善の余地があるので、直していきたい)、30年近く生きていて、本当に悲しくつらく嫌で怒ったのはその一度限りだ。

 

それが、おれの否定されると嫌な部分だ。そこが、最初に述べた、自分を小さくできる、と表現した自分だ。

 

それくらいなんだよ、否定されて嫌なのは。そこ以外は本当にどうだっていい。

 

な?もっと自分を小さくできそうじゃないか?

 

つまり、本当に大事なことはいくらもない、ということだと思う。

 

ばあちゃんのことを思うと悲しくなるのでもう終わる。