おれとお前は違うということについて、その1

おれとお前は違う。おそらく何かは共有できているのだろうが、それにしたって全く違う。おれとお前は繋がってはいない。だからして、おれが考えることに対して、即座にお前が同意する訳ないと思っているし、逆もまた然りだ。

 

おれとお前が違う、という理解を押し進めると、お前がおれに対して侮蔑の言葉を吐いたとしたって、おれは何にも感じない、というところに行き着くと思う。

 

もちろんおれは、それについて考える。そうか、こいつはおれのしたことに対してこう感じた/考えたのか、と我が身を振り返る。そこで、自らの行動を変えるべきだという結論を得たり、これは謝るべきだ、と思ったりするかもしれない。そうなったら、行動を変えたり、謝ったりする。

 

しかし、たったそれだけのことだ。別におれについての否定の言葉を吐かれたって、おれはなんとも思わない。多少は悲しくなるかもしれない。

 

けど、おれとお前が違うということはそういうことだと思う。

 

みんな自分が広すぎるんだよ。もうちょっと自分を小さくできると思っていて、そうできた方が耐障害性が高いと思って生きている。

 

おれとお前が違う、ということはそういうことだと思って生きている。

 

けどきっとお前は違うんだろうな。

 

その2も書いた。よかったら読んでくれ。

https://mickamy.hatenablog.jp/entry/2021/08/17/232407