言語について、その1

あなたは、我々がちゃんと言語を共有できていると信じて生きているか?

おれはその可能性は極めて低いと思っている。だからおれはさまざま言葉を尽くして伝えようとしている。だが、世の多くの人々は、言語を共有できていると信じて生きてるように見受けられる。

今日はそのことについて書く。

 

人と話してて、あ、この人はこういう意味でこの言葉を使っていたんだ、という風に突然気付いた経験はないだろうか?

おれは、ある。

そしてそれはたまたま気付けただけで、まだ気付けていない意味のミスマッチがない保証はどこにもない。

ヒトの言語の習得方法からして、極めて個人的な経験をもとにそれを学ぶ訳だ。国語の授業は小学校からだし、みんな通ってる学校は違う。友達も違えば、家族も違う。それらが違うと日常会話が違う。わかりやすい例として、各地方における方言があると思う。

 

そんな違う道を歩んで学んだ言語体系を、昨日今日出会ったおれとあなたが共有できている訳がないと考える。

 

我々はそれぞれ異なる言語ゲームをプレイしていて、その中での規則が共有できていることは極めて稀である、ということに対して、もっと意識的になるべきだとおれは思う。

 

だから、言葉を尽くすべきなのだ。on the same page という表現が英語にはあるが、重要な場面ではそれを確認することが極めて大事だと思いながら生きている。

 

だから正直に何でも言うべきだとおれは思ってるんだけど、たぶんそうじゃないんだよな?

 

おれが知らない世の真実を知ってたら、今度教えてくれよな。