死にゆくお前へ、その1
人は、放っておいてもいつか死ぬ。人の世は辛く厳しいが、いつか終わりが来る、というのは救いだとは思う。
ただ、それを自分で終わらせようとするのは、無責任だと思う。お前は、たぶん、おれの友達だ。お前は、おれと実生活上の関わりを持っていると思われる。おれは、そんな人が死にゆくのを見るととても悲しい。
たぶん、二週間くらいは仕事が手につかない。3ヶ月くらい、お前のことをずっと考える。その後、一生お前のことを、ふとした時に考える。
おれは、いまでも、ばあちゃんのことを考えて、泣く。ばあちゃんが死んだのは10年前だ。ばあちゃんは、ほとんど寿命で死んだ。寿命で死んだとてこうなのだ。いわんや、お前が死を選んだら。
30年も生きてると、そういうやつもいる。みんな勝手に死んでくよな。すごく、迷惑な話だ。
誰かが死ぬたび、こっちは心をかき乱されるんだよ。お前は死にたいほど辛い時にあるかもしれない。たぶん、お前の辛さは、おれが知らないほどに過酷なのだろう。おれはお前の辛さを知らない。
しかし、お前はおれの辛さを知っているか?
個人的な知り合いが亡くなった時に、おれがどういう風になるか知ってるか?
お前は、ともすると過去に、そういう経験をしたかもしれない。けど、おれとお前は違う。おれの悲しみと、お前の悲しみは違う。
それは決して、程度の話ではない。
だいたい、人の気持ちと人の気持ちを比べることなんてできない。
お前が死ぬと、おれは二週間ほど仕事が手につかず、3ヶ月くらいは、お前のことを思う。
そして、完全に忘れるまで、10年以上はかかる。
お前は、そのような澱を、現世に残して死にゆくのか?
それでもなお、死にゆくのなら、おれは止めはしない。個人的な理由でお前を呼び止めて悪かった。ただ、おれの二週間と、3ヶ月と、10年と、一生に、少しでも想いを馳せてくれたらと思う。
この世が生きるに値しない、というのについては、全面的に同意だ。それについて、酒でも飲もう。
そして、いつか、昔の話をしよう、一緒に。