愛について、その1

おれはたぶん、愛が余っている。 だから、愛の話をする。




愛とは何か、考えたことがあなたはあるだろうか。おれは、ある。

思うに、おれとあなたが違うということを理解しつつ、とはいえあなたと一緒にいたい、という気持ちをおれは愛だと思う。そして、それは人間と人間の間の関係であって、例えば恋愛対象性との間に限定された話ではないと思っている。




例えばあなたがおれの実生活上の知り合いなら、たぶんおれはあなたを愛している。おれは、愛していない人とは一緒にいないことにしている。

おれの人生を振り返ったときに、全ての人々をほとんど愛している。例外は、何人かいる(いま実際にカウントしたが、十指で足りた)。ただ、そんな例外の人々の中にも、この人のこれは好き、というのはある。ただ、その人らにおいては、おれが嫌いなところも観測される。




おれ、愛とは、その期待値計算だと思っている。つまり、おれはあなたのどこかが好きで、もしかしたらどこかは好きじゃないかもしれない。ただ、期待値計算をしたときに、あなたがおれと一緒にいてくれるなら、おれが幸せになれる可能性が高いと思っている。だからおれはいまあなたと一緒にいるんだと思うし、物理的な距離が遠くとも、心だけはたぶん一緒にあるんじゃないかと思う。知らんけど。




つまり何が言いたいかというと、おれはあなたのことが大好きだし、愛しているし、いつまでもお互いを守りあって生きていこうぜ。得意をわけわけして生きていこう。おれが得意な物事はいくつかある。たぶん。例えばそれはソフトウェア開発だろうし、あとは、おれはすごく綺麗に卵焼きを巻ける。ほとんど築地みたいに綺麗に巻ける。もし、あなたが、ソフトウェアと卵焼きを綺麗に作れる人を求めていたら、おれが作るよ。

逆に、おれは苦手なことがある。例えば、たぶん、おれはあなたの気持ちが、言葉にしてくれないとわからない。おれはたぶん、永遠に人の気持ちがわからない。




だから、おれは言葉にしてあなたに言っている。

ありがとう。愛しているから、もっとたくさん一緒に遊ぼうぜ。




全然仕事の話じゃないように見えるんだろうけど、これは実はキャリアの話につながっている。キャリアの話はまた今度書くから、待ってて。

あなたは信じてくれないかもしれないが、おれは仕事で一緒にいる人々についても、ほんとうに、同じ気持ちでいる。働いているおれと、遊んでるおれは同じおれだからである。