生の長さについて、あるいはそのテーマについて

セネカは生の短さについて書いたが、おれは人生は長いと思う。あまりに長く生きすぎてしまった。

10歳の頃はまさか自分が15歳になるなんて思っていなかったし、15 の頃には 18 になるなんて思っていなかった(15 の夜も経ていない)。

ハタチの頃には 27 クラブを夢見ていたが、気付けばバスキンロビンスの前にいる。

余談だが、27 クラブ入りのためには、25 くらいには何かを成し遂げていないといけないので、何も成し遂げていないのにも関わらずクラブ入りのために死のうとしている若者は気をつけるように。必ずしも全ての門戸が誰にでも開かれているわけではない。これを教訓と取るか絶望と取るか。

長すぎる理由は、テーマの不足にあると思う。人生のテーマがないのだ。

そんなことを考えながらビールを飲んでいたら、ふと気が付いた。テーマの不足はあまりに壮大なテーマなので、それを持ってしてしばらくはやっていける。

 

かつて分からなかったことが今では分かるようになり、かつて分かっていたことが今では分からなくなってしまった。

どちらかというと、かつて分かっていたことの方を分かっていたかった。

人はこれをノスタルジーと呼ぶらしい。