星の王子様について、その4

星の王子様についてもうひとつ好きな箇所を思い出した。ので、書く。

 

地球に降り立った王子様は、やはり自分の星に帰らないといけないと思うようになる。異星人が故郷の星に帰るのは、どうやらお約束らしい。E.T. でもやはりそうだった。

 

帰るところがあるのはいいことだと思う。おれには帰るところがないから、羨ましく思う。

 

閑話休題

 

星に帰るにあたってなんやかんやあるのだが、おれが特に好きなのは、語り手のパイロットが、王子の帰った後の日に、夜空を見て思う一節だ。

 

王子が来て、仲良くなって、そして自分の星に帰っていく以前は、星々はただの夜の道標だった。しかし、この星らの内のどれかに、王子の星がある、とパイロットは考えるようになる。

 

そうなると、もうそれはただの夜の明かりではない。それらひとつひとつは、王子がいる星である可能性を秘めていて、もちろんハナっから輝いてはいたのだが、以前よりも輝いて見えるようになる。

 

天空の城ラピュタの主題歌の冒頭も、だいたいそんなことを言っているように思う。新潮文庫から出てるサン=テグジュペリの本の表紙を、宮崎駿がイラストを描いたりしているので、彼の中でもお気に入りの作家のようだ。

 

蝉がうるさいから終わる。

 

星の王子様について、その3

友達が、本当に大切なことは目に見えない、ということについてのおれとは違う解釈を教えてくれた。あれは、星の王子様においてたいへん重要な主張であると理解してるので、やはりそれについて書いておくべきだ思う。ので、書く。

 

おれは、あれは、物理世界に顕現することのない、心の働きだったりにこそ、本当に大切なことがある、という風に読んだ。

 

我々の認知系は心の働きを観測できないが、そういったところにこそ、大事なことがある、という主張だと理解した。

 

おれは、行動を伴わない思想に意味はないと思っている。行動として表れない思想は、外界から見たときに、思ってないのと区別できない。

 

そう考えているのにもかかわらず、おれは、その一節をとても気に入っていた。それが腑に落ちないでいた。矛盾するように見える二つの主張を、どちらも支持したいような直感を持ったからだ。

 

その友達によると、あの言葉は、「これは弱い人にとっての救いの思想で、あって当然のものへの慈しみであるとともに、ときに残酷なことを示している気がする。目に見えないという比喩は、見落としているぞということだと思う。」ということらしい。

 

つまり、目に見えない、を、視界の外、と取ったのだと思う。確かにそう読めないこともない。認識の外に、まだ見出せていない大切なことがあるかもしれない、というある種の謙虚さを持たずにいると、いつか大事なことを見逃してしまう、という側面があると感じた。

 

グレートギャツビーの冒頭らへんで、キャラウェイが同じようなことを言っていたように思う。

 

まあ、もうちょい考えてみる。

 

お前は、どう読んだ?

 

 

星の王子様について、その2

前回は話の途中だった。その1はリンク貼るのだりいから、悪いが読みたいと思ったら適当に探して読んでやってくれ。もちろん、読んでくれなくても構わない。

 

懐くということに思いを巡らせた王子は、生まれ育った星に置いてきた薔薇を想う。

 

その薔薇は、すごくわがままなんだ。虫が来ないようにガラスの覆いを被せてくれと言ってきたりする。世話のかかる薔薇だ。もちろん、王子と薔薇は言葉でコミュニケーションを取ることができる。

 

彼にとっては、それはたった一つの薔薇だった。それはその星に存在する唯一のバラ科(?)の植物だった、という意味でもあるが、それに留まらない。

 

ご存知のように、地球には薔薇はたくさん咲いている。王子はそれを見て驚く。この星にはなんてたくさんの薔薇があるのだろうかと。

 

しかし、懐く、ということについて考えた王子は気付くのだ。あれはおれにとってたった一つの薔薇だったと。そこら中に咲いている花々は、どれもあの薔薇ではなく、おれが想い、時間や手間をかけて世話した薔薇は、あいつ一人だったと。

 

だいたい、そんな話だったと記憶している。まだダンボールを開けられていない。

 

この話は、ある種のニヒリズムをもって捉えることもできる。愛なんて、所詮サンクコストなのか、と。

 

おれはその意見に部分的に同意する。たぶん、そういう風にできてんだよ、我々ヒトというものは。

 

けど、この話に、ある種の希望を見出すこともできる。つまり、他者を愛することができない、と感じている人も、そのような形で(時間や手間をかけることで)、愛することができるかもしれない、という希望だ。

 

まあ、おれはそんな風に読んだけど、お前はあれをどう読んだ?

 

サン=テグジュペリは他にもアホみたいにいい本を書いてるから、また今度話す。

 

準備について、その2

準備、と言った時に、人はスケジューリングとか、計画とかを連想するらしい。それらについて書く。

 

おれも、計画を立てる。割と最近覚えたことだ。ただ、おれの計画は、だいぶゆるふわっとしたものだ。例えば、これをしたくて、それにはあれが必要だから、年内くらいにあれをしようか、くらいのものだ。

 

仕事だと、この解像度を上げる必要があると認識している。何日までにこれをして、そこからあれをして、最終的にはいついつまでにこうなります、という絵図だ。これは、自分以外の他人と協調していくために必要な作業だと理解している。

 

おれの人生は、基本的におれだけのものだ。誰かに迷惑かけるわけではないし、遅れたって別にいいんだ。

 

おれほどにゆるりとした計画にも、利点はある。世の中には不確実なことが多いから、当初の計画通りに行かないことが多々ある。そんな時に、柔軟に対応できるんじゃないかと考えて、一人の時は、おれはこうしている。たぶん、agile

 

もしかして、違う?

 

準備について、その1

おれはやりたいことがある。そのひとつひとつに、どれくらいやりたいか、というのもある。すごくやりたいことと、ちょっとやってみたいこと、というのがあるということだ。

 

やりたいことがあるなら、そのための行動をすればいいだけだと思っている。そのために取れる行動は、もちろんそれをどれほどやりたいかに依存する。ちょっとやりたいことについては、ちょっとしたコストしか払えない。すごくやりたいことだったら、すごく頑張る。そういうことだ。

 

やりたいやりたいと言いつつ、行動が伴わないやつを時々観測するけど、たぶんそれほどやりたいわけじゃないんだろうと思う。

 

互いに共存できない二つの要求について思い悩む人を観測するけど、ちゃんと期待値計算してみればいいと思う。

 

実現するのに時間がかかることだったり、巡り合わせが必要なことについては、いつかタクシーが通りがかった時に、ためらわずに手を挙げられるような準備をすることが大事だと思って生きてる。

 

お前は、準備してるか?

 

素直さについて、その1

これは、たぶん言い訳である。おれは、他人の自由を侵害しない限りにおいては、何でも素直に言えばいいと思って生きてる。おれの言うことで誰かが傷つかないようにも、なるべく気をつけてはいる。

 

けど、お前はおれの言葉によって傷ついているかも知れないし、自由を侵害されているかも知れない。それについて話す。

 

まず、傷つけたならごめん。自由を侵害したならごめん。人の気持ちの働きを知るには、サンプル数がまだ足りないんだよ。おれは、教えてくれたことはなるべく考えて自分の中に何かを残そうとはする。だから、そう感じた時があったら率直に言ってほしい。再発防止策に努める。

 

もし、お前が言ってくれないとする。おれはお前が感じたことに、永遠に気付けないかもしれない。たぶん、繰り返してしまう。これは悲劇じゃないか?

 

だから、そんな時は教えてくれ。頼むから。Help me to help myself.

 

相変わらず自己中でごめん。