John Lennon について、その3

12月8日は John Lennon の命日だ。1980年のことだから、もう42年も前のことだ。ちなみに生まれは1940年の10月9日のはずなので、生きていれば82歳である(たぶん。おれは計算ができない)。

 

今はもうないのだが、かつてさいたまスーパーアリーナに、ジョン・レノンミュージアムというものがあった。彼の思い出の品なんかが展示されていた。

 

おれが高校生の頃、たしか2009年かその辺りだと思うが、誕生日である10月9日に、それを記念して彼の愛した帝国ホテルだかのブレンドの紅茶の茶葉を配布するイベントがあった。先着100名とのことだった。

 

おれは当時も今もジョン・レノンを好きで、これは行かねばならないと思った。開館がたしか11時で、悪いことに平日だったので、学校をサボってミュージアムに行くことにした。

 

おれはバカだから、そんなイベントの日にはとても早く行かないといけないと思った。先着だから、早くに並べばもらえるわけだ(バカでもそれくらいはわかる)。なんとか開館前に到着したい。そう思って、無理をして早く起き、開館10分前くらいに着くことができた。

 

おれの想像に反し、そこにはたった2,3人しかいなかった。てっきり長蛇の列かと思っていた。どうやらおれが思っているほど世間はジョン・レノンに熱狂していないらしい。

 

時々、おれの前に並んでいた人々について思う。彼(女)らは、いまもジョン・レノンを聴いているだろうか。もらった紅茶はちゃんと飲んだだろうか(おれは淹れるのがめんどくさくていまも持っている)。

 

命日よりも、生まれた日を覚えていてほしい、みたいなことをヨーコが言っていたような気がする。ために、彼の誕生日の話をした。おれはバカだから全てを記憶違いしているかもしれない、ごめんな。

アクラシア、あるいは意志の弱さについて、その1

一年前に書いたものが下書きとして残っていたので、まま載せる。

 

---

 

アクラシア、という語の認知度がどれほどあるかわからないが、古代ギリシア語で、意志の弱さを指すとされている言葉というのがおれの理解だ。

 

つまり、酒を飲んだら酔っ払って普段ならしないような失敗をしでかしてしまう。しかも明日は早朝から大事なミーティングがある。二日酔いでそれをこなすなんてあってはならない。きょうはぜったい飲まないぞ、と心に決めたその直後、まあ一杯くらいならいいかなと伸ばしたその手を突き動かした(あるいは止めなかった)ものが、アクラシアだ。

 

たぶん、元はソクラテスだのプラトンだので、アリストテレスの「ニコマコス倫理学」にその記述があったと思う。確か、知とは何か、知るとは何か、とかいう文脈で、その話が出てくる。

 

いわく、酒を飲むと悪い結果をもたらすと知りながら、酒を飲む人間は、「酒を飲むと悪いことが起きる」ということを「本当に知っている」のか、とかそういう問いだ。あまりに根源的すぎる問いは、ともすると滑稽に思える。

 

確か、アリストテレスは、悪いことだと認識しつつ酒を飲む奴は、本当の意味では知ってはいない、という主張をする。未来における損得と、現時点での損得を正しく勘案できていないが故に、誤った判断をしてしまい、結果として今酒を飲むことになると。

 

ここでアリストテレスは、現代においては行動経済学によって立証されている人間の認知の歪みに関する鋭い指摘を行なっているように思える。アリストテレスすごいね。

 

大学時代のおれは、ニコマコス倫理学を読む講義を取っていた。そこでアクラシアの話を聞いて思ったのは、おれについて語られている、ということだった。

当時おれは、朝起きれなかった。というか、30年生きていて、28年ほどは朝起きれなかった。ずっと起きれなかった。

 

意志が弱いから起きれないんだろ、と言われていた。やる気がないから起きれないんだろ。何なら、起きないことを選択してるんだろ、というふうに。

 

当時のおれは、やる気はあるんだけどなー、けど起きれないんだよねー、けどきっと、みんなが言うように、おれがダメなんだろうなー、と思っていた。起きれない、という問題を、意志の弱さから来るものだと解釈していた訳だ。

 

いくばくかが経ち、おれはホテルで仕事をしていた。コロナで自宅で仕事をするのが飽きたから、気分を変えようと、1週間ほどビジネスホテルで仕事をすることにしたのだ。

1週間のホテル仕事を終えた時に感じたのは、背中の痛みと凝りだった。これあいかんと思い、整体に通った。

 

1週間に1度通った。

 

通って3週目くらいに、整体師に今週の体の調子はどうかと問われて気付いたのは、最近寝坊をしていない、ということだ。

 

平均的な人々には伝わりづらいかもしれないが、おれにとって寝坊がない週というのは、ほとんど xxx ぐらいに珍しいことなのだ(xxx に当てはまる語を考えよ)。

 

肩こりだの何だのが、おれの起きれない理由だったらしい。それは、意志の弱さではない。

 

体と精神は極めて密接に繋がっており、どちらか一方が不調をきたすと、他方が不調をきたすようになっていると思われる。

 

意志がどーとか、頭がどーとか、精神がどーとか、言われることがあるけど、まずは体をちゃんとするといいことあるかもしれない、という話。

 

改めて振り返ってみると、確かにおれは意志が弱いかもしれない。

 

スケベ bitches on me

サッカーW杯2022で、日本がちょうど決勝リーグ進出を決めたタイミングでLINEしていた友達がいたので、クロアチア戦の日にまたLINEした。

サッカー!今日じゃん!

みたいな感じだ。

返信はなかったけど、まあ別にそんなもんだし、特に気にせず試合を見た。途中で abema が途切れた。担当エンジニアは大変だったことだろう。

試合が終わって(負けてしまった)、寝て、朝起きた頃に友達から返信が来た。

ペアーズで知り合ったイケメンとパコってた

とのことである。

「パコる」という語を日常会話で用いる人間を初めて見て少しびっくりしたが、まあそんなこともあるよなと思い直し、仕事をした。

仕事をしながら、KANDYTOWN のアルバムを聞いた。

https://youtu.be/kLbhEQJXJvE

フックのところが、スケベ bitches on me にしか聞こえなくて、ひとは様々なコンテキストや偏見の中に生きていると知った。

正直なところ、今もそう聞こえる。

他意はない。ただの空耳の話。

生の長さについて、あるいはそのテーマについて

セネカは生の短さについて書いたが、おれは人生は長いと思う。あまりに長く生きすぎてしまった。

10歳の頃はまさか自分が15歳になるなんて思っていなかったし、15 の頃には 18 になるなんて思っていなかった(15 の夜も経ていない)。

ハタチの頃には 27 クラブを夢見ていたが、気付けばバスキンロビンスの前にいる。

余談だが、27 クラブ入りのためには、25 くらいには何かを成し遂げていないといけないので、何も成し遂げていないのにも関わらずクラブ入りのために死のうとしている若者は気をつけるように。必ずしも全ての門戸が誰にでも開かれているわけではない。これを教訓と取るか絶望と取るか。

長すぎる理由は、テーマの不足にあると思う。人生のテーマがないのだ。

そんなことを考えながらビールを飲んでいたら、ふと気が付いた。テーマの不足はあまりに壮大なテーマなので、それを持ってしてしばらくはやっていける。

 

かつて分からなかったことが今では分かるようになり、かつて分かっていたことが今では分からなくなってしまった。

どちらかというと、かつて分かっていたことの方を分かっていたかった。

人はこれをノスタルジーと呼ぶらしい。

 

岡村靖幸について、その1

先日、久しぶりに岡村靖幸のアルバム「家庭教師」を通しで聞いた。あまりのやばさに度肝を抜いた。いったいどぉなっちゃってんだよ。

 

どこがやばいと思ったかを曲目とともに書く。

 

前提知識として、これは1990年の11月に彼の4枚目のオリジナルアルバムとして発表されたようだ。

 

Wikipedia 曰く、

1988年頃からであり、政府見解では、日経平均株価が38,957円の史上最高値を記録した1989年12月29日をはさみ、バブル崩壊後の1992年2月まで、この好景気の雰囲気は維持されていたと考えられている

バブル景気 - Wikipedia

とあるので、90年11月当時はバブルで日本がめちゃくちゃ元気なんだったと思われる。余談だが、おれが生まれた頃にバブルが終わっているようだ。道理で。

 

どこがやばいと思ったかを曲目とともに書く。

 

これを書こうと思ったんだよ。けど普通に、岡村靖幸のアルバム「家庭教師」を聞けで済む話のように思った。

以下に、このアルバムで特に好きな曲を挙げる。岡村ちゃん好きな人はまた今度飲もうぜ。

 

  • どぉなっちゃってんだよ
  • カルーアミルク
  • (E)na
  • 家庭教師
  • あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するんだろう
  • 祈りの季節
  • ビスケットLove
  • ステップUP↑
  • ペンション

好きな曲をリストしたらトラックリストになってしまった。それほどにやばいアルバムのようだ。

 

おれのキャリア、その5

これはおれのキャリアを振り返るシリーズの第5弾だ。前回のそれにさらに前回のリンクがあるはずだから、そこへ行けば芋づる式に最初の記事まで辿れるはずだ。辿れなかったらごめん。

 

前回: おれのキャリア、その4 - おれの魂

 

以下注意書きは再掲

 

言わないでもわかると思うが、おれの視点による、その当時感じたこと、及び今考えることを書くので、所属した組織を代表するものではもちろんないし、これから述べることがその特定の企業群を適切に表現しているとは思わないでほしい。迷惑かけたらごめん、その時はこっそり教えてください。善処します。

 

前回まで

  • 受託開発の会社で Android していた
  • 給料が全然上がんない
  • 転職の決意をした

 

正直に言って、ここら辺の時期の記憶はあんまりない。2017年の頃だと思うが、それはもう5年近く前のことだ。プログラミング始めたての頃や、ソフトウェアエンジニアとして勤めた最初の会社などは、全てが新鮮なので、脳みそが興味を持って記憶化してくれたのだが、その後は新鮮味というものが薄い。なので所々事実と相違する部分があるかもしれない。もしそうだったらごめん。

 

辞めると決意し、転職活動を行う中で、どっかの転職エージェントを使った気がする。青い大手のアレだったり、すごく小規模なそれも使った気がする。諸々見極めて、確か、黒い G をもっとも多用していた気がする。ベンチャーとかスタートアップとか呼ばれるところに行こうとしていたのだ。

 

確か、考えていたことはいくつかあって、

 

  1. 自社開発である
  2. CTO がちゃんといる
  3. 技術的なジャンプ

 

くらいが、念頭に置いていた条件だったと思う。

 

自社開発云々については、前の会社で懲りたのだろう。前回の記事では書かなかったが、例えばライブラリひとつ入れるのにも、先方の許諾を頂かないといけないような感じだったのだ。エラー探知のためのライブラリを入れようとしても、あーだこーだがあり、断念された。

その状態で、お客さんがここでクラッシュするって言ってるんだけど、このバグ直して、などと言われる訳である。プログラミングをしたことがない人には伝わりづらいかもしれないが、XX だと思ってくれればいい(いい例えが思いつかなかった。雲を掴むような話、とまではいかないが、すげー大変ってこと)。

 

CTO がちゃんといる、というのは、経営層にちゃんとソフトウェア開発の経験がないと、理不尽な要求を突き立てられることが多そうだと考えたのだろう。CTO がいないと、結局社内に閉じたクライアントワークとなってしまい、1 の要求を満たせない。

 

技術的なジャンプ云々は、今も転職の折りには考える。最近ではもう少しアップデートしていて、ジャンプはするんだが、それは最大1つに抑える、くらいにしている。

もう少し詳しく言うと、技術的なジャンプと業界的なジャンプ、合わせてなるべく1つにとどめる、ということだ。例えば、業界的なジャンプ(受託開発から自社開発、toC 向けのサービス開発から業務システム開発、など)と技術的なジャンプ(モバイルアプリ開発から、バックエンド開発)を同時に行わない。どちらもジャンプするなら、どちらか一方を控えめに行う。

ジャンプには労力が伴うので、その労力を最小限に抑えつつ、とは言えジャンプはしないとアレだな、というところのスイートスポットを探っているつもりだ。この辺りは、みんながどうしているのか聞いてみたいところである。

 

かような条件を満たしつつ、当時のおれが選考をパスできる見込みの高いところが、2017年当時はベンチャー界隈だった。いまがどうかはよく知らない。コロナの影響もあり、転職市場の傾向にも大幅な変更があったことと思う。

 

振り返ると、一応何かを考えて転職せんとしていたようだ。若いのにちゃんとしてるね。おれはいま、これほどちゃんと考えていないような気がしてきた。アルコールで脳みそをやられてしまったのだろう。

 

すごく歳をとったように思う。丸くなってるし、なんだか世間みたいなものを受け入れようとしている。けど、全く変わっていないようにも思う。よくわからない。

明らかに増えたのは、酒量だけだ。良いのか悪いのかわからないけれど、この頃と比べて酒に強くなってしまった。タバコの量も増えている。

 

翻って、知識、経験、思考、実績などについて、明らかな増大は認められないように思われる。加齢とはかくあるものなのか。おそらく、おれがちゃんと頑張っていない、ということなのだろう。

 

転職活動の方針自体について長く書きすぎたので、もう終わる。

 

また会おう。

 

おれのキャリア、その4

なんだかずいぶん迷走してしまったが、もともとキャリアを振り返るためのものなのであった。

 

前回: おれのキャリア、その3 - おれの魂

 

以下注意書きは再掲

 

言わないでもわかると思うが、おれの視点による、その当時感じたこと、及び今考えることを書くので、所属した組織を代表するものではもちろんないし、これから述べることがその特定の企業群を適切に表現しているとは思わないでほしい。迷惑かけたらごめん、その時はこっそり教えてください。善処します。

 

前回まで

  • 受託開発の会社でモバイルアプリ屋を始めた
  • 技術的な素養がほぼなかったので、研修やってもらってハッピーだった
  • なかなか案件にアサインされず、一人でなんだかんだを作り散らかしていた

 

ようやくアサインされた案件は、VOD アプリの新規開発だった。おれは、Android エンジニアとして参画した。もう一人、2-3年先輩の方がリードとして一緒に開発した。基本的な設計は彼にやってもらったが、主に手を動かしたのはおれだったと思う。VOD アプリのコア機能と言えるであろう動画の視聴画面などは、おれが実装した。

 

とは言っても、動画の再生にあたり OS の機能を直接触ることはなく、ライセンスなどのやりとりのためのあーだこーだをラップしてくれているサービスを使った。つまり、大した実装はしていない。権利関係をちゃんと遵守した上での動画ストリーミングって、めちゃくちゃ大変だと思われるが、その辺りを全くおれは頑張っていない、ということだ。

 

ふと思い出したのは、なんかの暗号化を施した鍵をサーバとやりとりしていたのだが、その復号がうまくいかずにしばらく悩んでいたところ、サーバの実装を見に行ったら、仕様と違う方式で暗号化されていたのを見つけたことがあった。モバイルエンジニアでもサーバサイドの開発を知っているといいことがあるなと思った出来事の一つだ。

 

リリースの直後か直前だったか、リードしてくれていた先輩エンジニアが退職の運びとなり、おれ一人で開発を行なった。どうやらおれは一人になりがちらしい。

 

VOD アプリなのに、なぜか漫画のビューワも提供することになり、実装した。漫画は右から左へスクロールしていくので、英語圏で作られた OS の機能ではママ表現できず、あーだこーだした。一応、画面回転にも対応するから、縦から横(横の時は、2ページを見開きにする)の時の挙動などがややこしかった。

 

リリースからしばらくすると、不具合報告がクライアントやユーザから為されるわけだが、どういう訳かそのほとんどが iOS 側のもので、Android のバグは少なかった(ほとんど皆無と言って良いほどだったと記憶している)。ユーザ自体が少なかったのかもしれない。リードしてくれたエンジニアの方の設計が良かったのかもしれない。あるいは、おれがうまく作れたのかもしれない。

 

2回目の大規模リリースが終わった頃に、入社から1年が経ち、給与改訂があった。クソみたいな上げ幅だった。

 

おれはたった一人で Android アプリの実装を行い、かつバグも少ない。iOS は3人で開発されていた。

そう考えると、おれが3人分の給与をもらったっておかしくない。流石にそれまでは求めないが、どうしたっておかしいと、おれは思った。

 

だから、辞めた。転職することにした。

 

長くなってきたので終わる。